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事例 「北京オリンピックの第三者の意見(1)」
2001年7月13日。モスクワのIOC(国際オリンピック委員会)総会において、
サマランチ会長(当時)の口から「北京」の名が読み上げられました。
中国国民の悲願、2008年北京オリンピック開催が決定した瞬間です。
2000年夏期オリンピックの開催権をわずか2票差でシドニーに奪われて以来、
雪辱を果たすのは中国スポーツ界のみならず、国を挙げての宿願でした。
2008年大会の実現を目指して、北京の招致委員会は1998年に
活動を開始しました。彼らは、前回がわずか2票差だったこともあり、
開催地としての能力に問題がないことは自信がありました。
ところが、国際的には中国の招致は疑問視される傾向にありました。
中国は大きな二つの問題を抱えていたからです。
チベット自治区や新疆ウィグル自治区において、
信仰の自由を奪い、教育を受ける権利や労働権を保障していないと、
アメリカをはじめとする各国が現在も非難を続けている人権問題。
そして、急激な経済成長を優先させる政策から生み出される、
大気汚染、砂漠化、酸性雨などの環境問題。
これら二つの問題は、中国を平和の祭典にふさわしくない国だという
イメージを膨らませ、北京オリンピック開催の夢を阻む難題として、
招致委員会の前に大きく立ちはだかっていました。
北京の招致活動は、純粋に大会開催能力を評価してもらえるのか、
言いたいことがきちんと世界に伝わるのか、
そんな疑問も抱えてスタートしたのです。
2000年大会の二の轍を踏まないよう、中国の招致委員会は
自らが発信したい情報と世界をつなぐ架け橋となってもらうべく、
2000年大会でシドニーに栄冠をもたらしたアメリカのPR会社、
ウェバーシャンドウィック社に広報戦略を依頼しました。
このPR会社の働きが、北京に栄冠がもたらすことになるのです。




